真の孝安陵
現在宮内庁が孝安天皇陵とする古墳がある。幕末尊王思想の高まりの中で、天皇陵の探索と修陵が行なわれた。この時玉手山の一番北に在った直径13mほどの円墳を孝安陵と定めた。図は文久の修陵にあたり修陵前の図。尾根の先端にある古墳が直径約13mの円墳。古墳の前にある神社は、菅原道真を祭る天神社。この神社は修陵にあたり、玉手山の金毘羅神社に合祀される。【出典:新人物往来社 文久山稜図】
現在この古墳が孝安陵として管理されているが、私は真の孝安陵ではないと考える。なぜなら玉手山には、これよりはるかに大きな古墳が少なくとも3基存在する。
中でも私がNo2とする古墳の直径は20mほどである。さほど巨大な墳丘ではないが宮内庁が孝安陵とする古墳よりは大きい。その墳丘近くで出土した土器片は、弥生末から古墳時代前期とされるもので三世紀中ごろの物である。私は、この古墳こそ本当の孝安陵と考える。
2023年11月この尾根の藪を刈り払い詳細の調査を行った。それまで墳丘の大きさを80mから90mと推定していたがそれは大きな誤りで有った。墳丘の一部と思っていた場所は墳丘を盛り上げる土取りを行った場所で在ろう。
墳丘の南側裾を明確に確認できる。この裾を手掛かりに墳丘の大きさを確定した。直径約20mの円墳である。
だが私はこの古墳は尾根全体を墓域とする巨大古墳であるとする考えに変わりはない。
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第2部 卑弥呼の王宮と墓
卑弥呼の王宮
- 卑弥呼の王宮は秋津嶋宮
- 秋津島宮はどこ
- 伝承の地から出土した特異な建物群
- 竪穴建物が方形区画施設を切り崩す
- 炭素年代による高床式建物の年代
- 多孔銅鏃という二世紀から三世紀の遺物
- 庶民の持ち物ではない装身具
- 広い範囲から持ち込まれた土器
径百余歩卑弥呼の墓