伝承の地から出土した特異な建物群
2009年に始まった、京奈和自動車道建設に伴う事前調査で、秋津嶋宮伝承地である、室(むろ)の地から特異な建物群が出土した。堅固な塀に囲まれた高床式建物である。後に秋津遺跡と称される遺跡である。発掘にあたったのは奈良県立橿原考古学研究所である。この遺跡は縄文末、弥生中期、そして橿原考古学研究所が古墳時代前期とする遺構が重なる。
写真は橿原考古学研究所が、古墳時代前期とする、方形区画施設と名付けられた、高床式建物を取り囲む塀の遺構。
問題は、塀で囲まれた高床式建物群の年代である。これを方形区画施設と呼ぶ。橿考研は大量に出土した布留式土器などから、この遺構の年代を、古墳時代前期とする。すなわち三世紀末から四世紀前半の遺構とする。
たしかに出土した竪穴建物(図で黒の四角で示される部分)の大部分は、間違いなく古墳時代前期の物である。しかし堅固な塀に囲まれた高床式建物群(方形区画施設)は、それより一時代古いのである。塀で取り囲まれた内部は清浄に保たれていたらしく、その内部から、年代を推定できる遺物はほとんど見つかっていない。そのために橿考研は、方形区画施設と竪穴建物は同時代に存在していたとして、高床式建物群の年代を古墳時代前期とする。
しかし次に示すように両者の間には時間差がある。
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第2部 卑弥呼の王宮と墓
卑弥呼の王宮
- 卑弥呼の王宮は秋津嶋宮
- 秋津島宮はどこ
- 伝承の地から出土した特異な建物群
- 竪穴建物が方形区画施設を切り崩す
- 炭素年代による高床式建物の年代
- 多孔銅鏃という二世紀から三世紀の遺物
- 庶民の持ち物ではない装身具
- 広い範囲から持ち込まれた土器
径百余歩卑弥呼の墓