邪馬台国探しは、なぜ混乱したか

これまで、邪馬台国は何処かという問いに、多くの人が挑み、数知れない説が生まれた。

今もなお論争が続いている。この混乱の原因の一つは、『魏志倭人伝』の極めて不正確な地理像による。この地理像に従う限り、邪馬台国などあり得ない、南の海上にでてしまうのである。そこで、この地理像を誰が、どのようにして描いたかを解明する。

不正確な地理像

第4部 邪馬台国探しは、なぜ混乱したか

  1. 笠井新也の「邪馬台国は大和である」説
  2. 不彌国津屋崎説
  3. 笠井新也「陸行一月」の解釈
  4. 誰が描いた地理像か?
  5. 距離をどのように認識したか?
  6. 投馬国はトモ国
  7. ヒントは『日本書紀』にあつた