多孔銅鏃という二世紀から三世紀の遺物
この遺構から多孔銅鏃が1点出土している。
多孔銅鏃は、東海地方を中心に二世紀から三世紀中ごろにかけて周辺地域に広がったとされる。その多孔銅鏃が秋津遺跡から出土したのである。この1点のみなら、たまたま古い物を所有していたと考えることもできる。だが多孔銅鏃と同時代の、東海系土器が複数出土している。
この遺構は二世紀代まで古くなる。
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第2部 卑弥呼の王宮と墓
卑弥呼の王宮
- 卑弥呼の王宮は秋津嶋宮
- 秋津島宮はどこ
- 伝承の地から出土した特異な建物群
- 竪穴建物が方形区画施設を切り崩す
- 炭素年代による高床式建物の年代
- 多孔銅鏃という二世紀から三世紀の遺物
- 庶民の持ち物ではない装身具
- 広い範囲から持ち込まれた土器