墳丘の大きさ
No1とする尾根上に存在する墳丘は尾根方向で約25m、尾根と直交する方向では北側が大きく崩壊し、墳丘の裾を確認できないが、南側は墳丘の中心から20m前後である。したがって尾根と直交する方向では40mくらいであろうか。
墳丘の大きさは、とても直径150mに及ぶものではないが、墳丘と尾根が一体であれば、径百余歩の円墳に見える。
私が尾根と墳丘が一体と為すと考えるのは、No3の古墳である。一目見て古墳と解る古墳である。この古墳の盛り土部分は直径20mくらいであるが、盛り土の裾は尾根の中腹に及ぶ。墳丘が築かれた時には、この尾根の樹木はすべて伐り払われていたであろう。尾根と墳丘は一体に見えるはずである。No1、No2も同様な古墳であると考える。
私は航空写真からこれらの古墳の存在を知った。航空写真で墳丘を確認できたわけではない。古墳の存在を予想できたのは、尾根の形からである。尾根と墳丘は、密接な関係にあると考えられる。尾根と墳丘を一体とする墓なのである。
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第2部 卑弥呼の王宮と墓
卑弥呼の王宮
- 卑弥呼の王宮は秋津嶋宮
- 秋津島宮はどこ
- 伝承の地から出土した特異な建物群
- 竪穴建物が方形区画施設を切り崩す
- 炭素年代による高床式建物の年代
- 多孔銅鏃という二世紀から三世紀の遺物
- 庶民の持ち物ではない装身具
- 広い範囲から持ち込まれた土器