男弟は六代孝安天皇

『日本書紀』には卑弥呼は登場しない。
宇那比姫命が卑弥呼であることを知ったが、卑弥呼と大和朝廷の関係は不明であった。
この謎を解く驚きの系譜が在った。静岡県磐田市に国玉神社という神社がある。その宮司家、大久保氏は、古い時代の和邇氏系譜を伝える。
そこに驚愕の一文を見る。「(押媛命の)母建田背命の妹、宇那比姫命」である。

 

男弟

 


押媛命は、和邇(わに)氏の祖とされる天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)の子である。したがって宇那比姫命と、天足彦国押人命は、夫婦である。
この関係から『魏志倭人伝』の「男弟有りて佐(たす)けて国を治」とする「男弟」が明らかになる。天足彦国押人命の弟が、倭足彦国押人命(やまとたらしひこくにおしひと)で、後に六代孝安天皇とされる人物である。孝安は宇那比姫命の義理の弟となる。宇那比姫命には六人の実の兄はあるが実の弟はいない。弟に該当するのは義理の弟孝安である。卑弥呼の政治を佐けた「男弟」とは孝安天皇に他ならない。
このことによって卑弥呼と大和朝廷の関係が一挙に解明されることとなる。孝安の宮は、室の秋津島宮である。秋津島宮が卑弥呼の王宮でもある。

これまで不明であった邪馬台国と大和朝廷の関係が、宮津市籠(この)神社海部氏の『勘注系図』、『先代旧事本紀』の尾張氏系譜、そしてこの、大久保氏系譜の三つが揃って、その謎が明らかになるのである。

 

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卑弥呼は宇那比姫命

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唯男子一人あり、飲食を給う