卑弥呼は宇那比姫命

 卑弥呼は宇那比姫命という女性である。
『勘注系図』は宇那比姫命の亦の名として次のような名前を記す。
「大倭姫命おおやまとひめのみこと」、天造日女命(あまつくるひめみこと)、大海靈姫命(おおあまひるめひめのみこと)、日女命(ひめみこと)とする。

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大倭姫命とは「おおやまと」という国の名を負う女王の名である。大和に政治の中心があった時代、その支配地全体も「やまとの国」なのである。特にその全体を明示的にいう場合「大」を付けて「おおやまとの国」という。古い時代の天皇はこの大倭の名を負う。天皇と同格の名である。「おおやまとひめ」とは「おおやまとの国の姫」という意味で、

「天造日女命(あまつくるひめみこと)」の「造」は支配者という意味である。したがって天下の支配者という意味である。

そして、大海靈姫命の「大海」は、この一族が「あま」と称される一族であることによる。靈(ひるめ)とは、巫(みこ)のことで、神のお告げを現す女性のことである。
『魏志倭人伝』は卑弥呼が「鬼道を事とし、能(よく)衆を惑わす」とする。靈姫はこのイメージに重なる。

そして最後は日女命である。
高貴な女性を「ひめ」と呼ぶ。漢字では「姫」「媛」「比賣」「日女」などと表記される。
そして命(みこと)とは、高貴な人物に付けられる尊称である。
読みは「ひめみこと」。これを卑弥呼と書き表したのである。

宇那比姫命は二世紀の後半、王位を巡る戦乱の後、幼少で王位に擁立され、三世紀の中ごろ没した。
父親は、現在の奈良県御所市近辺、葛木高尾張(かつらぎたかおわり)を本拠地とする「あま」と称された一族の当主である。後にこの一族から分かれて、東海地方に移り住んだのが後の尾張氏である。母親は紀伊国造(きいのくにのみやつこ)の女、中名草姫とされる。7人兄妹の一番末の娘である。
 

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