唯男子一人あり、飲食を給う

『魏志倭人伝』は次のように伝える。
「ただ男子一人あり、飲食を給う。辞を傳え出入りする」とする。
この「男子」とは誰かである。
多くの論者が、この「給飲食」を一人の男子が、卑弥呼の食事の世話をしたと解釈する。ありえない解釈である。卑弥呼の王宮には千人もの、婢が仕えている。食事の世話は、当然彼女たちが行う。
この「給」は「たまう」と読んで、ただ一人卑弥呼と食事をすることを許された人物があった、ということである。それは卑弥呼の孫である孝霊に他ならない。孝霊は、卑弥呼の娘、押媛命の子供である。孫であれば卑弥呼と一緒に食事をすることも、卑弥呼の言葉を伝えて、出入りすることも問題ない。この男子は若き日の孝霊天皇で、この時点では、おそらく十代の後半くらいであろう。

男子