台与は天豊姫

 『勘注系図』に七世孫として建諸隅命(たけもろずみのみこと)という名を見る。そこに詳しい注記が記される。系図と合わせて読むと、極めて興味深い情報を含む。

天豊姫


系図では建諸隅命の娘の名前を、大倭姫命とする。大倭姫命は大和朝廷の女王の名で、私が卑弥呼とする宇那比姫命の亦の名も大倭姫命である。

更に亦の名として天豊姫命(あまとよひめのみこと)とする。「天」はこの一族が「あま」と呼ばれる一族であることによる。したがって名前は豊で『魏志倭人伝』が台与とする女性である。「国中不服」として倒れた男王の後、歳一三歳で王位に擁立された、邪馬台国の女王である。
『魏志倭人伝』は台与を宗女すなわち、卑弥呼と同族の女とする。建諸隅命は、宇那比姫命の甥で、娘の天豊姫は、卑弥呼の二世代後の同族の女である。

台与とは、天豊姫に他ならない。

 

次の文は『勘注系図』が記す、七世孫建諸隅命の注記である。

亦云、建日潟命 亦名彦由麻須命
亦云 建日方命 一云、丹波縣主由碁理命
母葛木高田姫也、
稚日本根子彦大日日天皇【開化】御宇
於丹波國割丹波郡與余社郡、
被置竹野姫之屯倉、
時此命奉仕、故亦名曰竹野別
后爲郡名矣、
此命娶大諸見足尼女諸見己姫
生日本得魂命、次生 大倭姫命(一云、次生依網吾彦男垂見宿禰)矣、