孝元は孝霊の子ではない

 「国中不服」として戦乱に陥ったときの男王を八代孝元とする。
『記紀』系譜は孝元を七代孝霊の子とする。しかし私は、孝元は孝霊の子では無いと考える。

物部氏などの系譜と比較すると、孝霊と孝元の間に、ほとんで世代差がない。しかも天皇系譜は、初代神武から十代崇神までを親子で繋がる十世代とする。だが、他の氏族系譜の世代数は、おおむね七世代である。天皇系譜だけが他の世代数より多い。天皇系譜に作為があると考える。

物部氏と天皇の対応関係

また『日本書紀』崇神紀のなかで、孝霊の皇女、倭途途日百襲媛(やまととひひもそひめ)を崇神の叔母とする。だが『記紀』系譜上では、大叔母(おおおば)となる。系譜と一致しない。系譜に作為があると考えられる。

孝元、開化、崇神と続く親子関係に違和感はない。孝霊と孝元の親子関係に疑問がある。


興味深い説がある。孝元は孝霊の子ではなく神武の子である神八井耳(かむやいみみ)を祖とする、雀部臣(ささきべおみ)の子とする説である。推古天皇の時、天皇系譜と異なる氏族系譜は、没収されたとする。その一つが雀部氏系譜で、系譜は、次のようなものであるとする。系譜が実在しない以上、確かめようがないが、『古事記』にも、神八井耳を雀部臣の祖とする記述がある。私は事実ではないかと考える。

雀部臣にみる孝元天皇の系譜
この伝承では神武から孝元まで四世代であるが、一世代くらい欠落があるようにも見える。この説を信じる限り、孝元は孝霊の子ではない。
また孝元は、物部氏の欝色雄が擁立した天皇で、後に続く台与擁立に至る戦いの中で、物部氏は一方の中心勢力である。

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