倭国乱

 倭国大乱を国同士の戦いとする見解は多い。
だが倭国大乱は、国同士の戦いではない。一国の中での王位をめぐる内乱である。

そのことを『後漢書倭伝』は「相攻伐歴年無主」とする。何年も、戦いが続き、主が無かったとする。「主」は「王」の書写誤りであろう。王がいないと云うことは、王位をめぐる戦いが繰り広げられたのである。それが主無しの意味である。
そして『魏志倭人伝』が記すように、「一女子を共に立て王と為す」という妥協が成立するのである。
もし国同士の戦いなら、仮に和平が成立したとしても、統一国家にでもならない限り、共通の王を擁立することなどありえない。

また卑弥呼の後に擁立された台与もまた、王位をめぐる内乱の後に擁立される。卑弥呼没後に立った男王は「国中不服」として倒れる。新たに台与という女性が王位に就く。
これも「国中」とするから、一国の中の内乱であることは明らかである。

先に邪馬台国の四人の高官は、倭氏と物部氏によって占められていたとした。この四人の高官から、大和朝廷の権力構造がうかがわれる。
倭国大乱とは、誰を王位につけるかをめぐる、この二つの勢力を中心とした争いである。その後、この二っの氏族は、それぞれ邪馬台国の高官として権力の座に就いたのである。